あなたの人生偏差値を上げ、輝きながらこころ富裕層になる吉日選び

ごあいさつ

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櫻川 千晶 です。

数あるWEBサイトから、この「日選び」をご覧いただき、ありがとうございます。

世の中には、がんばっても、タイミングがかみ合わないまま
なかなか芽が出ない人がたくさんいらっしゃいます。

私の父もそんな人でした。

何をやってもうまくいかない
お勤めしていたときは、まだ、なんとかなっていましたが
更なる飛躍を目指して、事業を起こしてからは
信頼していた人から裏切られ、膨大な債務を抱えたり
(私の20代はそんな父の借金返済でボーナスが消えたことも何回かありました)
イベントをやってもお客様が入らず、債務は膨れるばかり。
そのうちにストレス過多のまま、癌が発見されたときは、Stage4の終わり(末期)で
あっという間になくなってしまいました。

世の中、何をやっても上昇気流に乗れる人がいらっしゃるのに
どうして父は何をやっても上手くコトが運ばなかったのだろう・・・
いろいろ調べるうちに
もともと、生年月日が弱いことは解っていたのですが
何かを始めた日が軒並み父にとってダメダメな日になっていたことを発見しました。

私のアドバイス話など耳を貸してくれる父ではありませんでしたが
こどもの頃からとても身体が弱かった私は、父に溺愛されて育ちました。
(現代では虐待と言われる体罰も厳しく何回も受けましたが~苦笑)
眼病のため、治療用サングラス(いわゆる色めがね)をかけていた高校で
登校拒否になったとき、留年せずに卒業できたのは、
父が、担任からの受けたいじめをPTA役員の立場から糾弾してくれたからです。

父は、常に仕事のことで焦っていました。
この焦りがタイミングがかみ合わない状況に走らせ、失意のまま病死したのです。

今、私は、父のようなケースを一人でも減らしたいと心から願っています。

企業に勤めながら、Wワークでブライダルスナップカメラマンとして8年
年間100組以上のご結婚に立会い、その後の追跡をして粗データを取り
それで見えてきた予測は、
勤めていた会社の営業の人で検証した結果が現在の「日選び」に活かされています。

生年月日によって吉日は違います。

父のように、単純に占い師から教えられた一流万倍日や大安を吉日として
困難に困難を重ねてしまうようなことが1件でも減らせるよう、
祈りながら、この「日選び」をみなさまにお届けしてまいります。

櫻川 千晶

********櫻川千晶プロフィール********

1960年生まれ。占術研究家。

2009年3月 28年間勤務した一部上場金融関係のOLを卒業。
現在フリー。

3歳半から4歳のとき、
自分には見えても周囲の人たちには見えない世界があることに
氣がつき、以降、自力でその世界を封印しました。

1972年、中学に入学。
「西洋占星術」の本を熟読し、
クラスメイト(1クラス60名)全員やご家族のホロスコープを手作成
するほどの(今で言う)オタクでした。
口コミで、隣のクラスや先輩方、後輩たちの占いもしていました。

1974年、当時は原因不明であった失明の可能性が高い病を患う。
当時、14歳。
主治医から「完治できるか、失明するかはわからない」と言われ、
ショックを受ける。
当時、好きだった西洋占星術で未来を占うも結果が見えず、
失意にいたとき、図書室の司書先生から学校より徒歩5分程の所にあった
神保町の「原書房」をご紹介いただきました。
「原書房」先代の老婦人に「受験ために病いが完治する時期を知りたい」
事情を話すと、歌丸光四郎先生著「四柱推命」を薦めていただき、購入。
西洋占星術と同様に四柱推命もクラスメイト全員の命式を立て、
四柱推命と西洋占星術のパーソナリティに現れる結果はほぼ同一であることに
気づき、以降(当時はパソコンが一般的でなかったため)
作成に時間がかかる手書きのホロスコープよりも早く命式が作成できる
四柱推命を中心に独学を始めました。

1981年、以降、2003年まで、有名企業に勤める傍ら、
口コミで依頼を受けるボランティア鑑定する日々を送っていました。

1989年、以降、「学びたい」気持ちだけでプロになる気が無いまま、
プロ養成クラスや個人レッスンなどでご指導いただきました。
吉岡秀憲先生より氣学の手ほどきを受けたのもこの頃です。

1990年、不運続きの渦中で病死した父の生涯を振り返り、
事業開始や、縁付けの日が軒並み父自身の不運な日であったことに気づきました。
以降、生年月日で力が不足する人の改運や
「ひとりひとりちがう『吉日』や暦」に興味を持ち研究を始めました。

1993年、転居後、母が精神的な病により以降2002年まで入退院を繰り返しました。
いろいろ調べていくうちに、母の友人である氣学の先生からご指導いただいた
良い転居日と吉方位は、真逆であったことが判明。
自分が知らないと、騙されることを肝に銘じた出来事でした。

1994年、一部上場企業に勤務する傍ら
週末に、ブライダルスナップカメラマンとしてWワークしながら
生年月日と結婚日と離婚率の統計を取り始めました。
2002年までの間に約1000組のデータから
学んできたロジックとは異なる結果を得て驚きました。

2003年、東西の占星術で著名占い師に「プロになればいいのに」と言われ、
その気になり、プロデビューのために占いの勉強をやり直しました。
職場の営業職のご協力を頂き、成績と活動と暦と生年月日に関するデータを
退職するまで摂り始めました。
このデータは、私の日選びの礎になっています。

2004年、占い師としてプロデビュー。
勤務先にナイショで、Wワークした恵比寿の占いのお店では、
「一人ひとりのための日選び」「方位」が評判となり、
多数のお客さまにご好評を戴き。リピーターを多数獲得。
開店初月から続けてベテラン諸姉を差し置いて売上げNo1に。

2005年、ご経営者さまからのご相談に接しているうちに、
自分もご経営者様方がどんな勉強をしているのか知る必要があると痛感し、
さまざまなビジネスセミナーや講演会に出席するようになりました。

2006年、UCLA客員教授ラリー・サング老師の来日講義ほか、
アメリカ風水研究所の各講座を受講。

2006年、プロ活動中の占い師のためのブラッシュアップクラスを開講しています。
現在も、個人鑑定の合間に、リクエストを頂き、随時開催中です。

2007年、アメリカ風水研究所日本語クラスの代講も勤めました。

2008年、CNNアジア地区コメンテーターであり、世界四大風水師と名高い
レイモンド・ロー老師の来日授業を受け
「統計の運勢学と宗教は全く別でなければいけない」お話に深く感銘しました。

2008年、初来日したアメリカNo1マーケッターコンサルタント
ジェイ・エイブラハムのセミナー「戦略的ビジネス構築セミナー」
(英名:”Strategic Business Building Weekend”)に参加。

2009年、販路を持たないクライアントさまへの新規事業立ち上げに際し
ジョイント・ベンチャーを具体的に提案した結果
9桁売り上げる好調なビジネススタートに貢献しました。

2009年、セミナー開催上納金に苦しむ経営者さまへ
新規事業展開のアドバイスにより8桁の利上げへ貢献しました。

2010年、Edwin Coppard氏のパワー・オブ・リチュアルに参加。
ヴォイスエネルギーによる元型心理学を学びました。
Edwin Coppard氏からは、
生まれ持っているサイキックの資質を生かすことを薦められました。

2010年、個人の生年月日から算出した(來るものを予測してみる)「彩り日暦」を販売開始。

2013年、日選びコンサルティング(3ヶ月から1年単位)開始。

2013年、「彩り日暦」を「來予見(こよみ)」へ変更。ライトバージョンを作成開始。

2014年 リクエストをいただき、コラボセミナー開始(不定期開催)

2016年 新所沢「かふぇうらら」毎週月曜日の占いの館へ参加。

2017年 高齢母の認知症と占いの鑑定の両立のため、再びフリーに。

近年、欧米の心理学では、長く海に囲まれて育まれてきた日本人独特の思考傾向が対応しき れないことを痛感し、様々な心理学系の研究会などに参加しています。

また、サイキック、東洋占術と西洋占術の融合を研鑽中です。

お気軽にメールでお問い合わせください。

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